新鮮な感覚


今年は2人の息子の嫁さんも揃って年末年始を過ごすことができました。私の両親はすでに他界しているので、私が家長になります。


揃った皆んなの姿を眺めていると、とても感慨深くて嬉しくなります。2人の嫁さんが家族として加わったこと、そしてその嫁さんには家族がいて、親戚と呼ばれる方々が新しく生まれる。こうやって増えていくんだなぁ〜って家長として親として本当に嬉しい。


亡くなった祖父母、父母そして世間の先輩方もこんな感覚を味わった瞬間があったのかなと。


料理もお酒も、いつもより何割も美味しい。


息子たちと、人生を一緒に送ろうと思ってくれた嫁さんたちは可愛いものですね。


父が、一年の節目節目に、皆んなで集まる機会を持とうとしたのは、この感覚をまた味わいたかったのなぁって思いましたね。


このコメントを書いてる最中、ワンちゃんたちの…  散歩の催促に、顔への舐め舐め攻撃と、前足で書くのを邪魔することが激しくなったのでここまでに…









今年もあと半月


月初めに「今年もあと1ヶ月」と書いたばかりなのにもう半分も過ぎた。


年末にかけてせわしい12月は特に早い。


12月半ばにしては、何かいつもの風景と違う気がしていた。そう庭木の雪囲いをしてない家が意外に多い。うちもその中に入る。


毎年時期になると半ば自動的に植木屋さんがまわられてきて「これから行きますので宜しくお願いします」とだけ一報が入り作業して行かれる。しかし今年は「どうされますか?」と連絡が入ったばかり。


今年の天気予報はズバ抜けて正確に当たる。長期予報が暖冬小雪ということもあってなのか、雪囲いの出足はかなり遅いように見えるが、かといってしないわけにはいかないのが雪国、そして何が起こるかわからないのが近年の自然現象だ。


さて、年末までもう半月。

まだ気が抜けない毎日でしょうが、一日一日乗り切ってまいりましょう!





今朝の霧の風景



氷点下の朝で、霧で覆われていました。さすがに冷えますね〜。ワンちゃん達は、逆にいつもより飛び跳ねて喜んでいますから凄いな〜。




マイナス波動への対処


思いやりのある人は、他人の悩みや苦しみに敏感だ。少しでも和らげてあげたいという思いに溢れている。そして他人の話を熱心に聞いてあげる素晴らしい人だ。


その思いやり行動にも関わらず、熱心に聞けば聞くほど、自身の心と体は疲弊し病んでしまう。本人にとってはきっと不本意な反応に違いない。しかしこのような反応に悩む人は少なくないのだ。


人の痛みを理解してあげないと…  

と思うことで、その人のネガティブな経験や感情に意識を向けてしまう。それが引き金となり相手から発するマイナス波動と共鳴・同調することになる。


同調するというのは、受け取ることと同じだ。他人の経験や感情が自分のものになることだ。そうなると自分の心と体にそのマイナス波動が再現され、心身が病んでしまう。


これがしだいに無意識で行われるようになり、同調作用も常態化される。


こうなると自分が望まなくても、心の底にマイナス波動を引き寄せる観念となって居座り続け、空間中を漂う波動にも反応してしまうのだ。


ではこれらのマイナス波動を受けても元気でいられるにはどうしたらよいのか?


●悩む人を元気にしたいのなら、日頃は明るく元気になれることに極力触れることが肝要だ。日々心身に溢れんばかりのプラス波動を取り入れること。


どうやって蓄えるか。自分なりにその方法を真剣に思案してほしいのです。


涙がこぼれ落ちるほど感動する話を聞いたり、あるいは体験し、あるいは想像することはとても役立つ。


本はとてもよい。素晴らしい言葉に触れる。いつも持ち歩いて、それを読むことで元気が出るなら最高だ。


涙が溢れるほど、そして嗚咽してむせぶほどの感動を経験できるならこんなに良いことはない。無いのなら想像してリアル体験するんです。想像ができないというのなら、できるまで想像するんです。


「想像できるまで、どれだけの労力も惜しんではならない」








波動というものを今一度知ろう


心も体も元を正せば全て素粒子というミクロの粒子から成っています。その体の最小の構成単位の素粒子は静止することなく常に振動しています。


その振動は、皆同じではなく、抱く思いや感情や心の奥にある自分でも気づかない観念などに影響を受け、それに見合った特有の振動を起こしているのです。


この振動を波動と呼びます。


この波動は、自分自身の中だけに留まらず、体外へ常に発信されていて、発信される波動と同じ波動を持つエネルギーや人や物と共鳴するという働きがあります。


共鳴すればくっつき合い、引き寄せて、発信元である自分へ戻ってくるという厄介な機能を持っています。


自分へ引き寄せられるものが不快で嫌なものであれば、心身は病みますし疲労感も増します。しかし発信しているのは自分自身の中にある可能性が高く、これを改善するには、発信元であるご自身の思考や感情や観念を変えなければなりません。


それには自分がどんな考えの持ち主なのかを一旦立ち止まり、じっくり客観的に眺めてみる機会を持ってください。


人は誰でも、生き方のモットーやこだわりや柱のようなものがあります。しかし、困っている時は、その良いと思っていることさえも、一旦「どうなんだろう?」と立ち止まり、そのこだわりの奥に、心配や怖れや憂いが潜んでないかを探ってみる必要があると思うのです。


まずその準備として、身体のどこかが凝り固まっているのであれば、そこをほぐすことから始めてください。コリは筋肉の硬直なので、筋肉が神経を締め付けて、「締めつけてますよ!」という余計な電気信号が常に脳へ送られ続けられ、それだけで脳はアップアップになり、ストレスとなり、自分を客観的に眺めるだけの余裕すら無くなります。コリは自分では気づかない部分もありますから、人に委ねてほぐしてもらってください。






眠る前はとても大事



心や体の悩みは、本当に人それぞれ様々な形で持っていて、解決したいと願っているはずです。


こんな時まずしなければならないのは、夜 布団に入って、さあ眠ろうとするまさにその直前は、嫌なことを考えたり、思い出したりしてはいけません。


自分の身に起きて欲しい素晴らしいことのみを想像して、思い描いて、眠りについてください。


解決の第一歩は、まずここからです



ポトスの知恵


当院にあるポトスは濃い緑のものと、ライムと言われる黄緑色の葉のものと2種類あって、時々葉を切っては、別の土に植えるということをやってきた。


その葉たちは、土に根を張り元気に生き続けています。


そのライムという種で、フローリングに茎を伸ばし葉をつけ、また壁づたいに上に伸びているものがあり、掃除のついでによーく眺めてみたんです。


そしたら茎の力や弾力性で茎や葉を維持してるのではなく、茎の下側に茶色いしっかりした茎が下方向へ生え伸びて絶壁の壁にそれを絶妙に ‘当てて’ 支持していたのです。


人間ならば様々な労力を使い作り出すものを、ポトスはただ上へ伸びたいという意思のために自ら作り出してしまう。


備わっているポトスの知恵に不思議さを感じてしまいます



自然とはいったい…



被災された方々にはお掛けする言葉が見当たりません。本当に自分の身に起きたらと想像すると泣けてきます。



自然は、一年の殆どにおいて私達の日常に恵みをもたらしています。


しかし災害となると、逆に容赦のない想定外の結果をもたらしてしまう。


風対策をとれば水害が大きくなり、予測して身構えている所ではない安全と呼ばれる場所に地震は起きています。ことごとく私達の予測の裏をかいて起こっているかのようです。


自然は意思を持っているのでしょうか。いつ起こってもいいように対策のある所には何も起きず、対策を取らずとも大丈夫だと思っている場所にわざわざやってくる。


常に私達の油断を突いてきているようにも見えます。自然と私達とは無関係ではないのだと示しているかのようです。


気圧や海水温など専門家から見れば理屈や気候システムはあるのだと思いますが、台風の発生場所からこの小さな日本の地を目がけて曲がって来るカーブ線を眺めると、わざわざ私達目がけてやって来るかのように思えてなりません。


来てしまってからでは、もう打つ手はなくどうにもなりません。


少しでも減災で済むようにするには、小さなことと思えるような整理や片付けであっても日頃から備え、動くことが最大の防御なのかなと思えてきました。



豪雨にびっしょり



パラつく小雨の中、夕方の散歩に出かけたところ、途中で猛烈な豪雨にさらされてクゥとモコと私はびしょ濡れ!


今年に入って散歩でびしょ濡れになったのは初めてです。途中で駅の駐輪場で15分位雨宿り。小雨になるのを待った。


その間、この子達はいい子に待ってました。

途中で気にして目をやると、クゥモコも目を合わせてきて「凄いね〜、まだかな〜」って思ってるかのようです。


なんとかやっとの思いで帰り、タオルで拭こうとするや否や、「早く拭いてーー!」ってわれが先と競争してしがみついてきます。


拭いてると、嬉しいのか「ありがとうね〜」って言ってるかのように拭かれながら顔を舐めてきます。手を掛けてもらってるのが嬉しいんでしょう。最後はドライヤーじゃ足りないので、ファンヒーターで全身を乾かします。


乾くとよほど嬉しいのか、飛び跳ねて喜んでいます。


自分とのコミュニケーションを楽しんでいる様子なので、こんなのもたまにはいいのかもです。まぁ全部私の主観ですけど(^-^;


キンモクセイの香りに



きのうの夕方、散歩コースの殆どでキンモクセイの香りが漂っていました。


ついこの間、嗅いだばかりの香りと思っていたのに、もう一年が経ってしまったのかと本当に驚きますね〜。


この感覚って、脳科学ではどう分析されるんでしょう。


その季節ごとに絶妙に花を咲かせる植物の体内時計や外部環境への反応の正確さには脱帽ですし不思議さを感じます。


手を掛けなくても、時期が来れば花を咲かせ香りを放ってくれる。「自然」とは「自ずから然らしむ」とはよく言ったものです。


自然が織りなす “何か” の表れを楽しみたいと思います。