ヒゲの話を再び


修行時代にヒゲを生やした話は以前に書きましたね。それが不評だったことも。


コロナ禍の中、人通りの無い所での散歩と自宅以外では殆どマスクをしています。公人ではないので、地顔を晒すことが殆ど無いわけで、それをよいことに「ヒゲを剃らないでいよう」というささやきが起こり…。髭剃り負けしやすく、数日剃らないでいると肌が復活するというのも動機になって剃らないで5日目。


皆さんもそうでしょうが、この暑さでマスク裏の汗が凄い。それが、ヒゲがよいクッション材になって、マスクと肌との間に隙間ができて汗だくになるのを若干防いでくれています。


剃らず5日となると、まばらで薄いヒゲの私でも、さすがに見た目生やしてるとわかります。


自分の顔を普段は部分的によく見ないのですけど、今朝、鼻下と顎のヒゲをよく見たら「白髪がけっこうある!」と気づきました。


驚きました…。やはりそれなりの歳をとってるんだと自覚が深まりました。ふむ。


昔の人は、いつまでも若いと思っている人に、「頭髪や鼻毛や髭の白髪によって人生を折り返したことを知らせているのだ」と綴っていますよね。


自分の白髪を見たら残りの人生の時間を大切に思い生きましょう。



可愛い〜のシャワー


今日の散歩で、沢山の人から「可愛い〜!」「可愛いっすねー!」とすれ違う中学生、高校生、ご年配の方からお声をかけて頂き、うちのワンちゃん達はつくづく幸せものです。


ワンちゃんが家族になって、散歩に行かなければ、こんな温かい言葉に触れることはなかったかもしれません。


素直に「可愛い〜!」と声に出せる心を皆さんお持ちなんですね。皆さんのそんな心に触れてとても嬉しくなります。



自然の猛威が示すもの


半年間続いているコロナ禍の中で、人と人とが接したり至近距離で会話するということがここまで難しいことであるという体験をしてしまうと、今後感染のリスクが完全に回避されたとしても、しばらくの間は、息が掛かるくらいの距離での人との関わりに、素朴な感動や有難さが込み上げそうだ。


またそうあるべきなのかなと言い聞かせています。決して忘れるべきではないし、当たり前のことであるという認識に戻ってはならないと思いますね。


私達に降りかかる自然の猛威は、いつも私達が「当たり前だと思っているものが、実はそうではない」ことを強烈に突きつけてくる。


だから、どんなことに対しても、そうであることに対しての感謝や、小さな奇跡の連続で今の自分があるという思いは刻みたい。






脳が無くても…


昨夜のNHKの「人体vsウイルス」を観て、人体の不思議さやウイルスの存在の謎に思いを馳せるばかりです。


侵入してくるウイルスに対して様々な反応を起こす免疫細胞の映像に、タモリさんが「これ脳無いんだよね?」と脳が無いのにここまで緻密な反応を起こすというのはどういうことなのか?という思いをこの一言で発していた。


これは誰もが感じる疑問なんではないでしょうか。


ここはとても重要だと感じます。脳が無くても、ウイルスが侵入すると察知して警報メッセージを全身に発して免疫の第一陣に知らせる。それが効かないと第二陣へウイルスの情報を伝えて迎え撃つ、それがダメなら第三陣へと進む。


医学をかじった方なら、細胞が生命の最小単位であることはよくご存知のことと思います。一つの細胞それ自体が独自でモノを考え、外部の影響を読み取り、それに反応すべき行動を起こす。単独でダメなら仲間をも動かします。


脳からの指令が無くても、私たちが認識しようと、せずとも、一つの細胞は与えられた使命を果たそうと懸命だ。この姿には神秘を感じる。


脳が無いのに、免疫細胞一つ一つが意思を持ち、働いているということになります。私たちはこの現象に、この人体の神秘を、どう受け止めるべきなのか。


ウイルスはウイルスで、この巧みな人体の仕組みの裏をかいて侵入し増殖、そしてまた飛び出して感染を狙う。これも意思を持ってるかのようだ。


私たちを取り巻く空間には、ウイルスのみならず、無数の意思を持った粒子で満たされているんです。





散歩中の風景


ワンちゃんとの散歩は、日々発見の連続だ。


散歩コースはいくつかあって、雄のクゥが主導権を握ってグングン進み、そのコースでの正道をキッチリ辿る。雌のモコはコースに縛られずどこへでも軽やかについて来るという感じ。


そのクゥも予測不能な行動に出る時があって、一度も踏み入れた事のない道へ行きたがる場面がある。その時に新しい発見が起こりやすい。見たこともない家屋や自然。小川や草木花々。情緒に響き入ってきます。


関東に12年、帰ってきて…気づいたら早25年が経っている。その間様々な事があったにもかかわらず、まだ帰って間もない感覚があるのは何故だろう…。


きっと子育てと生活に集中して、出逢う様々な風景にじっくり心が向いていなかったせいだろう。


皆さんはいかがですか?


毎日見てると思っている風景を、ほんとに心に映して眺めていますか? 眺める心の状態で、同じ風景が違って見えることってあるんでしょうね〜。


加茂駅のホームが眺められる道があって、今日はホームに溢れんばかりの高校生が電車待ちしていた。何か懐かしい光景に触れたような感覚だった。



心を向ける対象


今まで多くの人から貰った気づきの言葉のお陰で、不安や心配や恐れが緩和している。


本当に有難いことです。


明日や未来に不安があったとしても、「今日食べれること あぁ有難い…」という言葉が心の底から出てくる。


コロナ感染が心配であっても、「それでもいま健康じゃないか いやー有難うございます」と目をぎゅっとつぶり口から漏れ出てくる。


人との距離が遠くなっても、散歩中に見知らぬ通りがかりの人から「おはようございまーす」と元気な言葉を掛けられる。思わず「有難いもんだね」と呟いてしまう。


自然災害が多発する昨今であっても、爽やかな風、目に入る木々や青々とした葉、そして鮮やかな花々。視界に入ると「私にもこんな綺麗な風景を見せてくれる…有難い」と思わず立ち止まり天を仰いで感謝する。


同じ風景や境遇の中にいても、どこに心を向けるかで雲泥の差だ。日々の中には様々な問題があったとしても、こう思えるのは有難い。これは自分が賢くしてなったのではなく「普段の中にある素晴らしい所へ眼や心を向けなさい」と人から気づかされたものなんです。


懐かしい髭


髭剃りというのは、そもそも人に対する身だしなみを気にしてするものなので、自粛で自宅にこもるということは、髭を剃らずに伸ばしてみようという動機になる。


この機会に伸ばしてみたという投稿を見て、髭を生やしていた頃を思い出した。


生やし始めた動機は、自分の殻を打ち破るためだった。身だしなみのために出来なかったことをやったら、自分にどんな変化があるのだろうかという好奇心からだ。


というのは、日体大の伝統を誇る男子学生寮で無事1年を過ごし切った私にとって、決められた規則を守ることはそんなに苦ではない。逆に言うと、決められた所から外れられないというサガも同時に備わってしまった。


大げさに映るかもしれないけれど、私にとって髭を剃らないということは、スゴイ挑戦なのだ。


初めて生やしたその頃はまだ修行中の身で、勤めていた治療院に来られる馴染みの患者さんからは不評で、次第に髭面になってゆく姿に「えっ?」て感じの反応に。


特に女性の反応はハッキリしていて、髭面を嫌う人がこんなに多いものかと驚いた。


「先生変!」「気持ち悪い!」「髭キラーイ」と反応はハッキリしていたが、笑みを浮かべながら言われる雰囲気に甘えて、私の挑戦はそこを辞めるまで通した。


家に籠もって人に会わないようにするわけなので、やろうと思ったらできる環境なんですね。生やしてみたという姿を見て、髭を生やしていた当時がとても懐かしく感じました。







GW明けて


自粛の中、人には中々会えない状況にありましたが本をじっくり読むことができました。本は著者の分身みたいなものですから、こういう時は助かりますね。


一冊の本を手に取ることは、1人の人との出逢い。


読むことは会話やその人に触れるような感じかな。


また新しい出逢いがあるといいなぁ。






志村けんさん逝く


「えっ!」と思わず声に出てしまった。


人は必ず死ぬことは分かっているんですが、そして今までも多くの著名人や大切な方の訃報に驚いてきた。しかし、志村けんさんの訃報は、まだ生きてるはずの人が亡くなった、この世からほんとに居なくなってしまったのか?という大きな喪失感がある。


ウイルスの感染の実情というものを正確に受けとめ、楽観視してはいけないものもあるということを認識すべきですね。


志村けんさん、まさかご自身がコロナウイルスに感染し、こんなに短期間でこの世と去るとは思わなかったでしょう。


ご冥福を祈るしかありません。






佐伯チズさん、志村けんさん


人一倍、体のみならず心の健康にも気をつけていた佐伯さん。筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹ったとの発表に、人間の運命や宿命というものの謎が深まるばかりです。ご本人の「あきらめない」意志がぜひ報われてほしいです。


そして志村けんさんのコロナ感染の陽性と重症の報道には、衝撃を受けた。その存在感は勿論だが、重症の見出しに心底驚く。なんとか今の窮地から生還して、振り返りのコメントを述べている姿があってほしいと願うばかりです。ドリフを盛り上げた立役者であることは、小さい頃から見ていた世代なのでよくわかる。芸風も様々に変化する中で、昭和の良き時代、茶の間の団欒に笑いを与えてきたけんさん独特の芸風、今も変えずに頑張っている姿には共感していました。