モコ退院後は快調!


前回書いた10日のその日にモコは退院!


獣医さんから手術の結果報告を受け、写真もよく見させていただきました。


これだけの手術… よく頑張ったなぁ

ただただ褒めてあげました。


お腹の20センチ近くある縫合が痛ましい。


術後の経過はとてもいい。

変化があったのは、まず便の出がすこぶる良く、💩の色ツヤや量が今までにない位、素晴らしい!💩を褒めるのも可笑しいですけど。


そして散歩の時、動きがよく、また鼻が効くようになったのか、以前の3倍位匂いを嗅ぐようになりました。


抜糸は来週です。それまでは掻いたり濡らさないよう気を遣いますね。







久しぶりの朝陽


ブログもほんと久しぶりに書きます。


雌のモコは7日に手術をして退院待ち。

病院でどんなに不安だろうかと思うと切ないですが任せるしかありません。


今日か連休明けの退院かな。


いつも一緒にいた雄のクゥは、モコがいないのでなんか落ち着かない様子で、いつもこちらをを気にしています。


そんな中、今散歩の途中ですが、あまりに太陽の光が気持ちよくて、つい書いてしまいました。



新年気分が一転


元旦は、数ヶ月ぶりに口にしたビールを朝から頂いて、動き回る楽しそうな孫を微笑ましく眺めながら朝食を食べ、暫くして仮眠に入る。


うっすらと目が覚めたのが16時頃、その直後に地震に遭遇し、飛び起きました。


石川の海岸沿いに住む義父母が県庁に避難できたのを確認するまではかなり緊迫した時間を過ごしました。


一晩経って落ち着きはみせてはいますがまだ油断は禁物です。






金木犀の香りまた


金木犀の花の香りが広がっていますね。

はや一年がまた過ぎました。


本当に毎年この香りを嗅いで、ある意味一年の速さにギョッとしているところです。


この香りは、好きですね。

前に住んでいた家の玄関を出たすぐ左側に金木犀が植えてあって、この季節になると嗅いでいた香りです。ただその家を離れるときにはもう無かった。切ったのかな…。


今思うと、この香り、ウチにもあったんだなぁ〜と。

庭に植えてあった木はそう多くはなかった。だから余計今になるとどういういきさつでそれらの木を植えたのかなど気になる。聞いておけばよかったです。


特に金木犀は。




月が美しい


いま夜空を見上げたら、素晴らしい満月が浮かんでいました。


いやー なんて明るいんだろう。


月って情緒を感じさせます。


周りの薄っすら霞のようにたなびく雲も、その情緒を醸し出してくれる要素となっていますね〜。



今朝は少し肌寒い


クゥモコは出掛けて留守にしてるので、今日は独りで散歩に出かけました。


5時過ぎで、曇ってることもあり、半袖半ズボンは肌寒いくらいでしたね〜。


でもまだ歩くにはちょうど良い気温です。


このちょうど良い感じは、長く続かないんですよね〜これが。急に寒くなってゆく。


それにしてもクゥモコを連れて歩くのとは、体の感覚が全く違います。


なんかキツイです。姿勢も真っ直ぐ起こさないといけない感じで。


あとクゥモコのために歩くというパワーと、自分のために散歩するというパワーは別ものっていう感じです。


ワンちゃんのためとか、誰かのためという時はパワーが自然に出るし強い。


自分のために散歩するのって、かなりエネルギーが必要なんですね。







涼しい朝


今朝は5時過ぎに散歩に出たところ、路面に濡れた跡があり、雨上がりなのか、とても涼しくて、クゥ、モコも私も快適に散歩することができました!


昼間はかなりの残暑でまだまだという感じですけど、朝晩は確実に季節の変わり目を感じますね。


しかし… もうこの時間になると暑さが… 今年はやはり暑い夏だったことを窺わせます。



施術業を通して


私のところでは、皆さまの心と体のケアをさせて頂いおりますが、施術を通して、何かその方と、共に人生を歩んでいるという感覚があります。


来られる方は、心身の疲労や何かしらかの苦痛や苦悩を抱えられて来られるわけです。


その苦痛や苦悩に寄り添えることに、とても連帯感を感じるのです。


一緒にこの時代を生きている、乗り越えようと歩いているという感覚です。


年齢は関係ありません。


同じ時代を確かに共に歩いている同士のような感覚なのです。


皆さまの人生にいっときでも関われることは、本当にありがたいことだと思います。



目に見えないことへの意識 改編版


いまは医学や科学が進歩したために、昔はないとされてきた見えないもの。例えば肉眼で捉えられないミクロの粒子は特にそうですね。


私たちやモノを構成している最小単位である素粒子という存在まで、漸く辿りつきました。そしてこれらのミクロの粒子の働き方や影響力は、私たちの日常にいかに関わっているかを、科学や哲学を通して…   いまは経済界やスポーツの現場を通しての方が多いかも知れませんが、かなり認識されるようになりました。


もう私達は、言い換える時が来たように思えます。


見えないものは、無い のではなく、

見えないものは、あまりに小さいので、肉眼では捉えられないだけで、有るのだろう。


という風に。


この数年間大きな影響を受けてきたコロナウイルスによっても肉眼で見えないものの影響力を嫌と言うほど知りました。


目に見えないこのウイルスによって、人間関係、経済、健康に多大な影響を及ぼされたということをよく認識すべきでしょう。


私達の生活に不可欠になっているスマホ。このスマホから発信される電波という目に見えないものに、文字や声、映像を乗せて空間へ放ち、運ばせてそれを受信して再現させて伝達する、ということすら不思議がらずに当たり前に受け入れて使っていますね。


これらのものは、すでに生物や植物そして取り巻く自然環境の中の仕組みの一部を切り取って、商品として再現させたものにすぎません。


このスマホの電波を通して情報を飛ばすという仕組みは、すでに私達生物が持っている仕組みです。人の心の中で思ったことや呟いた言葉は、波動エネルギーとして飛び出して様々な人や生物やモノに影響を与えています。スマホならば空間に放たれた情報を受け取るアンテナや周波数を持てば受け取れるのです。


私達の放つ言葉や想像の波動エネルギーも、同じような言葉を使い、また思いを持った人は受信しやすくなるのです。


波長を合わすという例では


ワンちゃんは、とても好きな飼い主さんに周波数をセットできるのです。


飼い主さんが電車で1〜3時間離れた距離のところから放つ心の動きを察知できるということはかなり前から分かっています。飼い主さんが「さぁ帰ろう」と会社で思った瞬間に玄関へ動き出すワンちゃんの不思議な行動は、数十年前から話題になっていてNHKで取り上げられ実験結果を報道しました。


科学や医学の進歩は、ある現象には必ずそれを作り出している見えない要素が無数にあるということを証明してきています。


そうなると「目に見えないものは信じない」のではなく、「肉眼でとらえられないだけで、きっとあるのだろう」と意識を変えなくてはならないと思います。


このことを認識することの意義は、日常に起こっている様々な偶然で断片的に見える出来事のピースが、自らの頭の中で思ったことの要因や過去現在の因果関係がその裏で無数に働いて作り出されているということのピースで埋まってゆくことで、辻褄が合ってゆき、納得感が得られます。


見えないものは無いと断ずることよりもあるかも知れないと思うことは、自らの可能性を広げることにもなると思いますね。









朝焼けでオレンジ色に



4:30には明るくなり、今朝は朝焼けで、オレンジ色に染まりきれい。そして涼しいので、クゥとモコも快適そう。